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philosophy2012/01/14

神さまは、今ココに。 <Poem by Teresa of Avila>


私は、自分のことを宗教的な人間だと思ったことはあまりありませんが、思い返してみれば、いつもどこかハートの奥に「神さま」の存在がいたり、何となく「善」という存在との会話はいつもあったように思います。そう言えば、昔から手紙を書くことが好きだったから、小学生の頃は神さまに手紙を書いたりしていました。少し大きくなったら「Dear God,」と自分の胸のうちを書き出すことで、自分の中身を整理する心地よさも覚えました。

もし、人が「善」や「神さま」を、遠くにいる存在として考えるのであれば、その人は今、目の前にいる人たちを犠牲にしてまで、その概念に従おうとするかもしれない。隣に座っている、自分と信念の異なる人を軽蔑してまで、自分の中の特定な「神さま」や「善」という概念を讃えようとするかもしれない。でも、本当は限りない「神さま」という存在を、自分の中で特定な「概念」に決めつけ、それによって共に生きる人たちを差別してしまったら、それは本当に有用なものだと言えるのでしょうか?

何が良いとか悪いとか、あっていいこと・あってはいけないこと、いかなる観念であっても、最終的には、それを信じていることが、今の自分にとって本当に有用で、役立つことなのかどうかは、常に自分自身で考えなければならないのだと思います。

私たち人間は人として、より良い未来のためにそうして「今、ココで」「自分自身」でスタートするしか方法がありません。だからこそ、聖者と呼ばれる人たちは「平安とは自分自身の心ではじまる」ということを時を越えて語り継いできたのではないでしょうか。

さらに言うと、人として生きる以上、そうする責任があるのではないかと思うのです。そうしないと、私たちには一つの終末しかないからです。それは、争いの絶えない結末なのです。

自分のハートの奥底の真実を、「善」と呼ぼうと「神さま」と呼ぼうと、何でもいいのです。ただし、それによって生まれるモラルを実行に移すこと、それを、他の誰でもない自分自身の「今、ココの」常日頃の生き様で始めること。それこそが、自分と「神さま」との関係をリアルで確かなものにし、そうすることで、本当の「善」が初めて、「今、ココで」生きることができるのではないかと思います。

今日は私が大好きなポエムを紹介したいと思います。(日本語訳は特に見つからず…、今回はmy translationでごめんなさい。)

———

あなたは、神の手

今この世において神さまの身は、あなたの身体だけ
神さまの手は、あなたの手
神さまの足は、あなたの足
神さまは、今こそあなたの目を通して世を観て
神さまの慈善を世にあたえ
神さまはあなたの足でこそ歩み、善をおこない、
あなたの手でこそ、今、人とめぐみをわかちあう

 YOU ARE CHRIST’S HANDS

 God has no body now on earth but yours,
No hands but yours,
No feet but yours,
Yours are the eyes through which he is to look out
God’s compassion to the world;
Yours are the feet with which he is to go about
Doing good;
Yours are the hands with which he is to bless men now.

~Teresa of Avila


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2012/01/14

私は、自分のことを宗教的な人間だと思ったことはあまりありませんが、思い返してみれば、いつもどこかハートの奥に「神さま」の存在がいたり、何となく「善」という存在との会話はいつもあったように思います。そう言えば、昔から手紙を書くことが好きだったから、小学生の頃は神さまに手紙を書いたりしていました。少し大きくなったら「Dear God,」と自分の胸のうちを書き出すことで、自分の中身を整理する心地よさも覚えました。 もし、人が「善」や「神さま」を、遠くにいる存在として考えるのであれば、その人は今、目の前にいる人たちを犠牲にしてまで、その概念に従おうとするかもしれない。隣に座っている、自分と信念の異なる人を軽蔑してまで、自分の中の特定な「神さま」や「善」という概念を讃えようとするかもしれない。でも、本当は限りない「神さま」という存在を、自分の中で特定な「概念」に決めつけ、それによって共に生きる人たちを差別してしまったら、それは本当に有用なものだと言えるのでしょうか? 何が良いとか悪いとか、あっていいこと・あってはいけないこと、いかなる観念であっても、最終的には、それを信じていることが、今の自分にとって本当に有用で、役立つことなのかどうかは、常に自分自身で考えなければならないのだと思います。 私たち人間は人として、より良い未来のためにそうして「今、ココで」「自分自身」でスタートするしか方法がありません。だからこそ、聖者と呼ばれる人たちは「平安とは自分自身の心ではじまる」ということを時を越えて語り継いできたのではないでしょうか。 さらに言うと、人として生きる以上、そうする責任があるのではないかと思うのです。そうしないと、私たちには一つの終末しかないからです。それは、争いの絶えない結末なのです。 自分のハートの奥底の真実を、「善」と呼ぼうと「神さま」と呼ぼうと、何でもいいのです。ただし、それによって生まれるモラルを実行に移すこと、それを、他の誰でもない自分自身の「今、ココの」常日頃の生き様で始めること。それこそが、自分と「神さま」との関係をリアルで確かなものにし、そうすることで、本当の「善」が初めて、「今、ココで」生きることができるのではないかと思います。 今日は私が大好きなポエムを紹介したいと思います。(日本語訳は特に見つからず…、今回はmy translationでごめんなさい。) ——— あなたは、神の手 今この世において神さまの身は、あなたの身体だけ 神さまの手は、あなたの手 神さまの足は、あなたの足 神さまは、今こそあなたの目を通して世を観て 神さまの慈善を世にあたえ 神さまはあなたの足でこそ歩み、善をおこない、 あなたの手でこそ、今、人とめぐみをわかちあう  YOU ARE CHRIST’S HANDS  God has no body now on earth but yours, No hands but yours, No feet but yours, Yours are the eyes through which he is to look out God’s compassion to the world; [...]

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2011/11/10

アシュタンガヨガを練習する者は、満月と新月の日をムーンデイと呼び、アーサナ練習をお休みします。スタジオのスケジュールに従い、このことを知っている人は多いと思いますが、きちんと理由を知らない方も少なくないと思います。 今日は’70年代からアシュタンガヨガの継承者、グル シュリ・K・パタビジョイス氏の生徒であり、世界でも有数のサーティファイド・アシュタンガヨガ講師の一人である、カリフォルニア州のティム・ミラー先生のサイトのムーンデイの説明を日本語に訳します。(ティム・ミラー先生の情報を知りたい方、またはムーンデイ説明のオリジナル英文を読みたい方はこちらをご覧ください。) ムーンデイについて: 水の性質を持つすべての物質と同様、70%以上が水分で構成されている人間は、月の満ち欠けの影響を受けます。月の満ち欠けは、太陽に対する月の位置によって定められます。満月は月が太陽に反する位置にある時、新月は太陽と並ぶ時に起こる現象です。 地球は、月の引力と太陽の引力の両方の影響を受けます。この二つの位置関係が及ぼすエネルギーの波は、呼吸の広がりと収縮に似ています。満月のエネルギーは、息を吸いきった時、プラーナ(微細な生命エネルギー)が最も満ちている状態に等しい。それは上へ引き上げられるような拡散のエネルギーであり、人間は活発に、また感情的になりやすい時です。逆に地に足をつけるような落ち着きがあまりない時です。ウパニシャッドによると、プラーナは頭の中に生きています。 よって、人間は満月の時は頑固になりやすい傾向があります。 新月のエネルギーは、息を吐ききった時、アーパナ(5種類あるプラーナの一種 で、排泄を促すエネルギー)が最も強い状態です。アーパナとは収縮し、下へ引き下げる力なので、人間は落ち着きを増し、静かになりやすくなります。このような新月のエネルギーは重く感じるので、人間を含む動植物は、あまり動きたくなくなります。 米国ファーマーズ・アルマナック(1818年より印刷されている天気や天文学の情報を記載した年鑑)は、根付く力の強い新月時に種を植えることを勧め、開花の力が最も強い満月時に移植することを勧めています。 アシュタンガヨガを練習していると、自然のサイクルに敏感になっていきます。自然と調和のとれた生き方は人間本来の在り方です。ムーンデイを守ることは、自然のサイクルを尊重する方法でもあります。 ~ティム・ミラー先生のサイトより 加えて、ムーンデイについて、私のメモです。 ムーンデイは自然のサイクルに従い、最も明るい満月時と一番暗い新月時を記しているものです。日本での正確な時刻を知りたい方は、国立天文台のサイトでご覧いただけます。 KPJAYIのムーンデイはスクールホームページを参考になさってください。インド・アメリカ・日本、各国のムーンデイにずれがあることがありますが、これは時差と関係しています。厳密には、満月時と新月時に 一番近いアーサナ練習を休むのがいい様ですが、時刻まで調べるとなるとスタジオや生徒の間で混乱が起きやすいので、一般的には満月や新月が起こる日の練習が休みとされています。 ムーンデイは、隔離されたできごとではありません。そのため、少なくてもムーンデイの3日前から、そして3日後 まで影響があることを覚えておくといいでしょう。また、エネルギーの波とは、満潮を過ぎてからよりも、満潮へ向かう途中の高まりの方がよりパワフルに感じられるものです。 月の影響をどこまで感じるかには、個人の感度に差があり、その時の月の位置が個々の人間に及ぼす影響も異なります。 なんでも月のせいにするのはいけないけど、このような影響が起きていることや、その中で自分はどのように反応しているかを冷静に観ることができるといいと思います。 ヨガワークショップや特別イベントの際、満月ムーンデイの場合のみ、例外的にアーサナの練習を行うことがあります。満月は夜の空に太陽が照っ ているに等しく、活発なエネルギーに満ちている時です。満月時はエネルギーが高く、けがなどの衝突が起きた際は治りにくい時でもあります。よって練習の 際、またはその他の活動の際も十分な注意を払うことが良いでしょう。 逆に新月の時は、必ずアーサナ練習を休むべきです。新月の時は、地のエネルギーが強く(夜空に月の反射による太陽が無い状態)、休むのがベストです。 またミラー先生の記事の通り、新たな種を植えるのに最適なのと同様、新しいアイディアの”種”を植え、新たなプロジェクトを開始したり、あらゆる形で新しいスタートを切るのに適した時です。 女性の場合、生理の周期が月の満ち欠けとタイミングを合わせることが多いと聞いたことがあります。満月・新月の時に生理になる女性、または満月・新月時に排卵し、満月・新月の中間時に生理になる女性がいます。どちらにせよ、ヨガの練習を続けていると、浄化が進み生理も軽く、短く、楽になり、リズムも安定し、自然と調和がとれてくるはずです。 ※この記事は以前Studio Voice Onlineで書いていたブログに2008.07.24にアップしたものをもと基に一部編集したものです。

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2011/10/07

Amazing… and so INTERESTING!! 実はこれ、Mae’sマイソールクラスの生徒さんが提出してくれた宿題なのです。あまりにも興味深い内容だったので、みんなともシェアしたいと思い、彼女の承諾を得てここで紹介させていただきます。 まずは、その経緯から。 完全メンバー制で、伝統的アシュタンガヨガを伝えているvedaの中心プログラム「Mae’s マイソール」。このクラスに限り、生徒さんたちと個別に面談の時間を設けさせていただいています。このクラスでは、継続的に自分に最も適したヨガのプラクティスを身につけていただくことが目的なので、お互いをより良く知り、そして一人ひとりの状況に合った形で、ヨガを生活に取り入れ役立てていくため、面談では差し障りのない範囲で、様々なことをお話します。 先月、新たにメンバーに加わったAさんは、結構遠いところから通う決心をされた方です。その理由を聞くと、近所のジムでヨガクラスに参加した時、「何となく、うーん、きっともっと何かあるはず」と思ったそうです。ここ数年の間で、ヨガはとてもポピュラーになりましたが、何かが広まるということは、ある一面では浅くなることでもあり、同じヨガでも様々な捉え方や伝え方があります。従って、ヨガクラス一つをとっても、まったく経験が違ったりもします。それでも、「近所の方が近いし、安いし」と安易な理由からクラスに参加し続けたり、またはそれ以上を求めることなくやめてしまう方も少なくないと思います。そんな中、Aさんがvedaを選んでくれたことは、私たちにとっても非常にうれしいことです。 同時に、初心者の彼女が「ヨガ」という経験に「何かもっと」を求めるなんて、なんてすばらしい感性をしているのだろうと私は感心しました。 そして彼女に聞きました。「毎朝、長時間の往復の電車では、何をしているのですか?」 Aさん:「うーん、何となくただぼーっとしています」 私は彼女のような貴重な洞察力を放っておくことはもったいないと思い、「初めての面談でこんなことを言うこともめったにないのですが、早速ですが、一つ宿題を出してもいいですか?」と尋ねたのです。 そうして、彼女にvedaに通う毎日の電車で、周りの人たちをよーく観察してください、とお願いしたのです。良い・悪いといった判断は一切不要なので、まずはその時間、自分を取り巻く人達がどんな風に時間を過ごしているか、どういう感じの人なのかを、よーく観察してみてくださいとお願いしました。 私からの宿題の課題はそれだけだったのですが、それから一週間程が経って、なんとAさんは、自ら観察結果をノートに書いて提出してくれました。それがとても面白かったので、みなさんとシェアさせていただきます。(Aさんは見事に善し悪しをジャッジすることなく、純粋に観察してくれました!) これは私の個人的な意見に過ぎないのですが、電車に乗っている人たちの観察とは、東京における「世間の主流」でもあると思います。日本は集団社会なので、「出る杭は打たれる」、「世間一般と自分の在り方や価値観を合わせるべき」との考え方がどこか深くに潜んでいると感じることがありますが、改めて自分に問いかけるべきだと思うのです。「自分の生き方を合わせようとしている社会の主流水準とは、いったい本当に健康でhappyなものなのだろうか?!」 Thanks, Aさん!You have wonderful insight… and するどい観察力☆ Enjoy. ーーー 宿題:車内の観察 始発前後 座席は空席あり。 立っている人はいない。 少しずつ間を空けて皆着席。 眠っている人と携帯を見ている人がほとんど。 何もしていない人は、たいてい5分以内に降りる。 7:00~9:00 上り(都心) 座っている人、立っている人、立っている人同士触れ合う位混んでいる。 お互い、「自分はあなたのことを見ていません!」気配を消している..。いないフリ、何もしてないフリ。息を殺す。 7:00~9:00 下り(郊外) 教材を読んでいる人がいる。 あまり混んでいないので、立っていても本を開いて読める程度。バッグを床に置いても大丈夫。 昼間 サラリーマン以外の人が思い思いに好きなことをやっている。 座っている人+たまに立っている人、位の混雑なので、しゃべっている人もいる。(→満員列車だと「静かに!」というプレッシャーがすごい) 眠っている人は案外少なくて、パズルをする人、新聞や小説を読む人、スケッチブックに何かを書いている人、必死で顔をかいている人(かゆい)、指を噛むのに100%の人、吊り広告を読みながら順番に歩いて移動する人。 夜 お疲れが加速。靴やサンダルを半分脱いで足を休めている人が増える。 寝方に「ダラーン系」(背もたれに緩やかに寄りかかるタイプ)に、前につっぷして眠る人もプラス。 立っている人は、柱や壁に寄りかかりたい。 端の座席で、視界を囲うようにして22:00以降、イヤホンありでスマートフォンを見ている人は大人向け動画(x_x)を見ている率高し。 目が充血、顔は無表情...。

ayako emoto



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2011/09/28

マイソールメンバーのAさんが、とってもinspirationalなマザー・テレサの言葉をシェアしてくれました。私にとっても本当にすんなりと、そして深くしっくり、温められ、また勇気づけられる言葉なので、ここでもみんなとシェアしたいと思いました。 Hari Om… Mother Theresa! Thank you for your love and blessings. May they be shared with All!   『あなたの中の最良のものを』 人は不合理、非論理、利己的です 気にすることなく、人を愛しなさい あなたが善を行うと、 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう 気にすることなく、善を行いなさい 目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう 気にすることなく、やり遂げなさい 善い行いをしても、 おそらく次の日には忘れられるでしょう 気にすることなく、し続けなさい あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう 気にすることなく、正直であり続けなさい あなたが作りあげたものが、壊されるでしょう 気にすることなく、作り続けなさい 助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう 気にすることなく、助け続けなさい あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい たとえそれが十分でなくても 気にすることなく、最良のものをこの世界に与え続けなさい 最後に振り返ると、あなたにもわかるはず 結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです ~マザー・テレサ Do It Anyway People are often unreasonable, illogical, and self-centered; Forgive [...]

TeresaMother