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philosophy2012/10/29

Forgiveness

明日は満月ですね。
満月は、自然界が満ちきって、これ以上はない!というところまでFULLになる時。
私の中では、物事が行くところまでいったら、さぁ、この後は手放そう、という時でもあります。
In other words,もう十分なところまでいったら、さぁ、赦そうよ、という時でもあると感じています。

今日は、最近読んだPaulo Coelhoの本『ALEPH』から、FORGIVENESSのessenceについて、美しい詩をshareしたいと思います。

ーーー

The tears I shed, I forgive.
The suffering and disappointments, I forgive.
The betrayals and lies, I forgive.
The slandering and scheming, I forgive.
The hatred and persecution, I forgive.
The punches that were given, I forgive.
The shattered dreams, I forgive.
The dead hopes, I forgive.
The disaffection and jealousy, I forgive.
The indifference and ill will, I forgive.
The injustice in the name of justice, I forgive.
The anger and mistreatment, I forgive.
The neglect and oblivion, I forgive.
The world with all its evil, I forgive.

 


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2012/09/13

先日の9月11日。 ちょうど火曜日だったので、基礎クラスの時に2001年の9月11日のことを振り返ってお話していました。 世界中に衝撃をもたらした、米国ニューヨークで起こったテロ事件。テレビのニュースで映し出された、あの信じ難い映像は、今でも目の奥に焼き付いています。 これは、私にとっても感慨深い事件でした。 というのも、その前の冬に、最悪の健康状態まで陥ってしまった私は、夏の間に「自分を救ってくれる何か」を求めるようになり、ヨガに行き着き、ちょうどテロ事件が起こった週に初めてヨガスタジオに足を運んだのでした。 その頃は、まずは健康のためにヨガをやってみよう、と思っていた程度で、ヨガのプラクティスがこれほどまで私の心身の健康のすべてにおいて総体的な変化をもたらすなんて思ってもみませんでした。しかし、あの事件が起こった時、ふとテレビを観て「世の中の現実が変わってしまった」と感じると同時に、私の中で、深く意識の覚醒をもたらすヨガの旅路が始まったことは、何だか自分の中では切っても切り離せないタイミングとなりました。 今回、雑誌YOGINIのエッセイにも書いたんだけど、この世の中って、この人生って、時に理不尽なことをもたらします。 私も、自分の経験のことを本に書いたことがあるけど、人って、いつの間にか「こんなことはないはず」とか「自分は大丈夫」と、勝手に決めつけた自分の頭の中の現実が、あたかも究極的現実であるかのように暮らしていくものです。しかし、自分が思っていることや、自分がコントロールできると思っていることの多くは、実は本当は人間の手にないものなのです。 突然の病気に見舞われること。 一番信じていた人に、コテンパンに裏切られること。 愛する人を失うこと。。。 思わず「あり得ない!」いや、「あってはならない!」と叫びたくなる現実が、本当は、いつもどこかで誰かの身に起こっています。 そして、自分もそんな「いつ何があるかわからない」現実と、本当はいつも隣合わせに生きていることを、忘れてはならない。 「大丈夫だろう」とちょっと安心していると、人生って、意外と変化球を投げてくるもの。 東日本大震災では、昨年、super peaceful countryジャパンに暮らす私達にだって、そんな半分眠ってしまっているような勝手な「きっと大丈夫だろう」という想いを、奮い起こすような出来事がありました。 そんなことが起こる時、それを受け入れるのは、容易ではありません。 WHY WHY WHY??? そう神様に怒鳴り散らしたくなることだって、あるでしょう。 人は、勝手な反応でそんな問いかけを心の内で叫ぶけれども、 本当は… もしかしたら、そんな問い自体が的外れなのではないかと、いつの日からか、そう私は感じるようになりました。 なぜなら、ここで問うべきことは、「なぜ神様がそんなことをしたか」ではなくて、 「なぜ私が、いつの間にか神様の現実を、私がコントロールできるものだって勘違いしたまま日々を生きてしまっていたか」だからだと思うのです。 ヨガを学んでいる中で、2つの真実を明確に身につけるようになりました。 「生きているものは、みな死を迎えるということ」そして 「いつ、どのように死ぬかは、誰も知らない」ということ。 If you think you know these things, think again. ヨガの学びの中では、普通以上に「死」や「終わり」を観る時があります。 でもこれって、同時に「本当に生きること」を教えてくれるからだと、そう私は思います。 先日の火曜基礎クラスでそんなお話をしていたら、その後にこのブログのVOICEページのコメントや、クラス参加者からのスタジオへのメールで、みんなの想いが溢れてきました。読んでいて、私も胸が熱くなりました。 Suffering is Universal. 人って、嬉しい時とか幸せな時は他の人にその想いを伝えたくて、分かち合いたくて気持ちが溢れるばかりです。 逆に苦しい時や辛い時って、孤独に感じたり、こんなこと人には言えない、きっと人はわかってくれない、と感じて自ら自分を疎外してしまうことも少なくありません。 けれども、feelingsって、その人がそれをどのように感じるかだから、ある人は火事で家を失っても、またある人は家族が病気になっても、またある人は淋しさを感じても、それを計る物差しなんてないと思うのです。あの人も悲しさを知っている。この人も、この人なりの苦しみを味わったことがある…。「私の苦しみの方が、あなたの苦しみよりひどい」なんていうことは、言えないと思うのです。本当の苦しみを味わったことがある人ほど、他の人の苦しみを親身にわかってあげることができる。 そう考えたら、苦しみだって、幸せと同様に、みんなに共通するものだと感じるのです。 そうして私達は、互いに優しく、強く、確かに温かく手を差し伸べることができるのだと思うのです。 And i never really know [...]

Ganga Yatra Gangotri