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philosophy2015/08/09

瞑想と瞑想プラクティスについて

瞑想とは、「すること(doing)」ではありません。

瞑想状態とは、思考が鎮まりかえった間に陥る静かなスペースであり、「至る状態(being)」です。

初心者にとっては特に、瞑想とは「しようとして入る状態」や「がんばって得る状態」とは違うという、注意深い認識が必要です。
もっとも、自覚ある状態でその静けさに至り、またそれを大切に育むために(習慣づけるために)、練習を重ねることは役に立つと言えるでしょう。そうすることで、ある意味「向こうからやってくる状態」がやってきやすいよう準備して、畑を耕すように心の内の状態を整えておくのです。このような静けさが、自分の心の内において習慣づいて、いつでもどこでも意図的にアクセスできるようになったら、どんなに素晴らしいことでしょうか!そのためのプラクティスでもあるのですが、”目的”としている静かな状態が、遠くにある「得るもの」ではなく、近く過ぎるほどに近くにある、ある意味当たり前の「ただ在ること」であるだけあって、感覚的に習慣づくまでにどれぐらいの時間やプラクティスが必要かについては、人それぞれなのです。

では、瞑想しようとしている、いわゆるプラクティス状態はというと、みなさんお気づきの通り、瞑想の静けさに入ろうと静かに坐る時間を持っても、様々な煩悩や雑念が次から次へを脳内をよぎることに振り回されるだけ…。だったりします。(笑)

さらに言ってしまうと、「瞑想状態に入ろう」という思いも、一つの思考にしか過ぎません。
皮肉にも、思考にハマっていると、それがどんなに素晴らしい思いであっても、その思考を抱いていて手放せないでいる間は、瞑想状態には至らないのです。

つまり、THINKING(思考力)が働いている間は、MEDITATION(瞑想)に至らない、ということです。
逆に言うと、THINKING(思考力)が鎮まりかえると、MEDITATION(瞑想)状態は自動的に在る、ということです。

こんな風に言うと、瞑想プラクティスにおいて「思考を排除したい」とか「無になろう」といった反応が芽生えてくるのも自然だと思いますが、これらもまた一つの思考概念に対する次なるリアクション思考概念にしか過ぎないのですね。

わたしの経験から言えることは、決して思考は悪いものではないと言うこと。
なので、思考をワルモノ扱いしないでくださいね。

思考は思考。それなりの役割と果たしていると自覚しましょう。
思考が働いてくれるから、お買い物を覚えていたり、適切な判断ができたり、必要に応じて人生をプランニングできます。

ですが、思考ばかりになってしまっていると、ハムスターの車輪のごとく、前述の例のとおり一つの思考がまた次の思考の引き金となり、連鎖反応を起こし、煩悩に浸かりやすく、自分で自分を苦しめてしまったり、メンタル面から多大なストレスを繰り広げてしまいます。

これは何よりわたし自身自分のヨガや瞑想プラクティスから言えることなのですが、ストレスとは「オーバーヒートしてしまった不適切な思考力」と言えるとわたしは考えます。だから、自分の心における思考力をより上手く扱い、自分の思考と仲良くなることができたら、ストレスは激減するはず。それでは、どうやって自分の思考や思考力と付き合っていけばいいのでしょうか?

まずは、すべての思考を「ただ一つの思考」として観て、見極め、扱うことです。
Don’t give any one thought too much value. Especially if it is a stressful thought.
どんなに”手放せないわ”と思っている思考であっても、それも何千何億とある中の「ただ一つの思考」として観て、扱って下さい。特にその思考が、あなたにとってストレスの要因となっているような思考や観念なのであればなお、です。

この「観る」というWitness(目撃・観察する)という客観視する視点が、瞑想の世界への入り口となり、鍵をにぎります。


最近は科学的にも証明され、世界的にも認められるようになりましたが、これこそがズバリ、瞑想やマインドフルネスが一番教えてくれることであり、現代病の大敵であるストレスの解消に最も効果的なプラクティスなのです。繰り返しますが、瞑想やマインドフルネスのプラクティスはDOING(やること・すること)とは違うので、最初のうちは「つまらない」とか「訳わからない」と思うかもしれませんが(これらが最もclassicなメンタルリアクションでもあり、)BEINGの世界である瞑想とは、Presence of Mind(気づいている・自覚のある心の状態)から「ただ在ること」に至る感覚なのです。

従って、本気で瞑想をプラクティスする者にとっては、坐っている最中に例え自分のマインドが思いっきり「つまらなぁぁーーい」とか「ムズムズして動きたーい」と叫んだとしても、その思考自体があまり眼中にないというか(笑)、ただ一つの思考として、それもサラリと流していくのです。そうすると、また次の思考が浮かんでくるので、ご心配なく。(笑)そしてそれが過ぎたらまた次もやってきます。究極的には、それが(動きを伴うのが)心の性質であると言えます。

しかし、そうやって一つひとつの思考を観てはまた手放していくことを鍛錬していくと、だんだんとどんどん、思考と思考の間に在る「スペース」「間隔」にも気づけるようになってくるでしょう。

瞑想やマインドフルネスなど、内的なプラクティスについての認識が一般的に高まるようになったことは本当に素晴らしいことです。
その反面、わたし達のような先進社会のハイペースな毎日の中で、瞑想やマインドフルネスを取り入れようとすると大きな落とし穴があることも事実です。

それは、「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」といった「得るもの」や「追求するもの」意識で瞑想をアプローチしてしまうこと。
つまり、既に忙しい人が、ストレス解消のために「瞑想しなきゃ」という風に、瞑想も追加するように「TO DO LIST(やることリスト)」に載せてしまうことです。

みなさんは、瞑想やマインドフルネス… そしてあなたのヨガプラクティス、「TO DO LIST」に載せていませんか?
ここらで一つ、PAUSE、BREATHE、CHECK.

And if…
そしてもし、
「ああ… わたし、瞑想もヨガも思いっきりTO DO LISTに載せてたなぁ」って思ったなら、

Just notice…
ただ、気づいてあげてください。
それもたった一つの思考にしか過ぎないことを。

 



☆☆お知らせ☆☆

◆今月はmaeyoga&vedaメンバーズ(MVM)月刊メルマガでも、さらに掘り下げて瞑想プラクティスのメリットについてのテーマを配信しますので、お楽しみに:)

◆この秋、my studio vedaでは瞑想やマインドフルネスをテーマにしたNEW Classが増えます!
『メディテーション&マインドフルネス』by 吉川めいを月2回ペースで開始予定。9月のカレンダーをお楽しみに☆

◆他、vedaで人気WSを開催してくださっているネルケ無方先生が、この秋より新たにvedaレギュラー講師入り!禅の世界をググッと身近にわかりやすく解いてくださる講話や禅ならではの坐るクラスを定期的に開催してくださります。(過去の開催例はこちら⇦

9月5日(土)長崎ハウステンボス『大健康際』にて2クラス、特別クラスを開催させていただきます。お値段もとってもお買い得なこちらのイベント♡九州地方の方、Don’t MISS IT!

※9月21~23日、今年もアジア最大級のヨガイベント「横浜ヨガフェスタ」をお見逃しなく!!各クラスの予約受付は開始しています⇦ 人気クラスからどんどん埋まっていくので、お早めにどうぞ。

 


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2015/06/30

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