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philosophy2015/10/03

啐啄同時

また…青い目の僧侶、ことネルケ無方先生に、わたしの知らない日本語を教えていただきました。(笑)
さすが仏教の世界で日本語を学び、覚えてきており、数々の著書を持つネルケ先生であるからこそ、インター育ちのわたしにとっては最早めずらしいことでもなんでもないのですが。今回はvedaの母(!)スタジオ・マネージャーを務めるOちゃんもネルケ先生に「これ、なんて読むんですか?」と聞いていたから、ちょっとほっとしたわたしでした。(笑)

そったくどうじ。
と読むそうです。

「啄」の意は、まだ卵の殻の中にいるヒナ鳥が、内側から殻をつつくことを表しているそうで、自然界では何事もウルトラ素晴らしいタイミングで起こるということで、どうやら実際のところ母鳥も、このタイミングで外側から殻をつつき、砕くことを手伝うそうです。啐啄」とは、何かをするのに絶妙タイミングを指す表現だそうです。

これはきっと…

兵庫県の山奥にある安泰寺という、ほぼ自給自足しているお寺の住職を務めるネルケ先生のvedaでの禅ワークショップの際に、以前わたしが「師匠と弟子の関係について教えてください」という質問を投げかけたことから始まっている流れでもあり…。禅において悟りを開こうとしている弟子に、師匠がうまく教示を与えて悟りの境地に導くことを指す表現であるそうです。

今回、金曜日のわたしのヨガ基礎クラスにご参加いただいたネルケ先生ですが、その際に、こんな棒をいただいたのです:



これは、坐禅で坐る練習をする時に(希望する方に)使われることがある警策(きょうさく)という棒だそうですが..。

この秋からFreshにveda講師として加わっていただいたネルケ無方先生。「vedaでのワークショップの際に使わせていただくので、よかったら置いてください。もちろんmae先生もヨガの時に使っていいです」と。(笑)
ということで、早速この棒でアジャストしちゃうぞおぉ〜と冗談をいいながら進めた基礎クラスとなりました☆

けど何より、この「啐啄同時」という言葉はわたしのハートにもズバッと入るものがあるのです。
個人的な捉え方かもしれないけど、ヨガの世界でだって、アーサナ練習や呼吸、そして瞑想練習。カラダだけに留まらない、カラダと心と精神をも統一していくプラクティスを継続していく者にとって、「自分」独りの力では届かない境界線を感じることは確かだからです。
それは、ヨガや禅だけでなく、人生そのものに言えることでしょう。

人は、独りで生まれてこないし、
人生は、独りで生き、悩み、また解けるものでもないと、そう感じるのです。

Just as much as we inhale- we must exhale.
頑張る、という働きには「自分の努力」が欠かせないものです。これは、呼吸で言うと息を吸うことにあたり、陰陽でいうと「陽」の働きで、中心へと向かっていく、集中の動きです。
同時に、「吸う」や「頑張る」の対極が「吐くこと」であり「手放すこと」。それが「陰」の時間です。
すなわち、吐くこととは「頑張って」は、できないのです。
その意味そのものが、Let It GO. なのです。

We 頑張る、
and then we Let It GO.

ひいては、頑張ったままだと、手に入らないお恵みがある、ということを指しているのだと思います。

「Ask, and it shall be given to you.」
キリスト教の聖書にだって、そんな言葉があります。
尋ねて、求めて、初めて入ってくる”答え”がある。
また、受け取る準備をすることは、尋ね求めた後に「受け取り体勢」に入ることでもあり、それは「答え」の形やタイミングを、自分の勝手な思いによって閉じ限らないことも意味しているのだと、わたしは自分のプラクティスにおいてつくづく感じるようになりました。

コンセプトスタジオvedaでは、オープン当初から「カラダだけに留まらない」ヨガであったり、カラダ/心/精神の調和を計らう大きな健康のプラクティスを提供することを目的としております。

この度、こんなにたくさんの人気著書を持っているネルケ無方先生のような本物のTeacherをvedaにウェルカムできることは、わたしにとっても大きな誇りであり、ぜひみなさまにオススメしたいのです!

ネルケ無方先生の、officially veda Teacherとしての初ワークショップは:

10/12(月祝)15:00-16:30
「プラクティスが山を越え、海を越えるとき」(詳細はリンクより)

vedaでの禅講話は、男性率が増える講座でもあり、また、ヨガのようにカラダを動かすことが苦手な方でも、まったくの初めての方でも気軽に楽しんでいただける時間です。お寺まで行かなくても、お寺の住職さんが来てくれる、温かいヨガスタジオのフロアーの裸足の場に、ぜひみなさまをinviteしたいと思います♡ご興味のある方は、ぜひ一度tryしてくださいね。きっと、普段の生活に活かせる心の知恵とヒントがいっぱい見つかります。お問い合わせは直接スタジオへどうぞ

また、わたしが講師を務める、メディテーション系のレギュラークラスも先月から新たに始まりました。
隔週金曜日の朝の「メディテーション&マインドフルネス」クラス(9:15〜10:15)は、

ハイペースの忙しい毎日の中で、現代人のストレスメンテナンスと心のケアに着目したクラス。ちょっとほっこりするような講話や、日常生活で活かせる 古代の知恵を、現実味のある身近なトークを通して、瞑想やマインドフルな暮らしの実践をあなたの日常にもググッと近くに感じていただけるでしょう。ヨガスタジオだからこそ、いつでも誰でも参加しやすく、ハードルを低くしたインナー・ワールドのクラスです。マットの上のヨガポーズまではいかない、簡単なストレッチや呼吸法も加えながら、憩いのひとときを設けましょう。きっと今、あなたが最も必要としていた心のバランスが見つかるはず。

…というクラスでして、既に密かな人気クラスとなりつつあり:)
i am ALWAYS so HAPPY to share with such eager students.
ぜひ、前後のヨガクラスを併せて、カラダとenergy bodyのクレンズと併せての有効性を一度体験なさってみてくださいね。

Hari OM!

xx mae.


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2015/10/03

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2015/08/17

「The Secret」の本や映画が話題になり、最近ではすっかり女性誌でも「引き寄せの法則」についての記事をよく目にするようになりました。 Like Attracts Like = 同じバイブレーション(波動)のエネルギーが寄せ合う現象を指しており、エネルギー的な理論としては量子力学などのサイエンスでも検証されるようになりました。わたし達一般peopleにとっては、サイエンスの説明より何より「自分の思考から発するエネルギー的波動が、それに見合った現象を呼び起こす」といった宇宙の法則に興味があるのでしょう。自分と大宇宙が常にコミュニケーションを取り合って互いに反応しあっているということ。このような理解、そしてそのpowerを実際に生活で活かして自分のLifeを改善できたら… そんなに面白くて楽しいことはないでしょう! 科学的な理論や説明とは別次元なのですが、実は、インドには昔からこの宇宙の法則を表す言い伝えがあるのです。 TATHASTUといって、英語で訳すと「So Be It.」 つまり、「そうあらしめよ」という意味があります。 家の中に住んでいる神々たちが、いつも自分が言うこと・思うことに「TATHASTU(そうあらしめよ)」と言っている、という考えなのです。 家は、自分の身と心のふるさとであり、帰る場所ですが、そんなベースとなる場所で、自分が一体どのようなことを思い、どのような言葉遣いで、何を口にしているか。 インドで言うTATHASTUとは、どちらかというと「神々たちがいつも聴いていて、そのまんま具現化させてしまうから、ネガティブなことを言ったり考えたりしないように気をつけましょう」という考えのようです。 Be Mindful of Your Thoughts and Words. 無意識のうちに、パターン化したマイナス思考に陥らないよう、そしてそれぞれに思考に翻弄されず、意識的に気づいていけるようになるAwarenessを育てていくには、やはりじっくりヨガやメディテーションの日々のpracticeに取り組みたいものですね。 Photo by Y. Ozawa, Courtesy of YOGINI magazine vol. 12, 2007. Ubud, BALI.   ☆★お知らせ★☆ ◆来月からvedaで新規レギュラークラス「メディテーション&マインドフルネス」スタート!! (隔週金曜9:15〜10:15) ハイペースの忙しい毎日の中で、現代人のストレスメンテナンスと心のケアに着目したクラス。ちょっとほっこりするような講話や、日常生活で活かせる 古代の知恵を、現実味のある身近なトークを通して、瞑想やマインドフルな暮らしの実践をあなたの日常にもググッと近くに感じていただけるでしょう。ヨガス タジオだからこそ、いつでも誰でも参加しやすく、ハードルを低くしたインナー・ワールドのクラスです。マットの上のヨガポーズまではいかない、簡単なスト レッチや呼吸法も加えながら、憩いのひとときを設けましょう。 ◆毎月第2/4土曜@veda、 アシュタンガヨガレッドクラス後の9:30〜10:00では「フリーカンファレンス」(無料)を開催しています。質疑応答したり、その時のテーマで話していくのであらかじめ内容が決まっているものではありませんが、初めての方も含めてEVERYBODY WELCOMEな時間なので、いつでもどなたでもご気軽にご参加なさってくださいね。

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2015/08/09

瞑想とは、「すること(doing)」ではありません。 瞑想状態とは、思考が鎮まりかえった間に陥る静かなスペースであり、「至る状態(being)」です。 初心者にとっては特に、瞑想とは「しようとして入る状態」や「がんばって得る状態」とは違うという、注意深い認識が必要です。 もっとも、自覚ある状態でその静けさに至り、またそれを大切に育むために(習慣づけるために)、練習を重ねることは役に立つと言えるでしょう。そうすることで、ある意味「向こうからやってくる状態」がやってきやすいよう準備して、畑を耕すように心の内の状態を整えておくのです。このような静けさが、自分の心の内において習慣づいて、いつでもどこでも意図的にアクセスできるようになったら、どんなに素晴らしいことでしょうか!そのためのプラクティスでもあるのですが、”目的”としている静かな状態が、遠くにある「得るもの」ではなく、近く過ぎるほどに近くにある、ある意味当たり前の「ただ在ること」であるだけあって、感覚的に習慣づくまでにどれぐらいの時間やプラクティスが必要かについては、人それぞれなのです。 では、瞑想しようとしている、いわゆるプラクティス状態はというと、みなさんお気づきの通り、瞑想の静けさに入ろうと静かに坐る時間を持っても、様々な煩悩や雑念が次から次へを脳内をよぎることに振り回されるだけ…。だったりします。(笑) さらに言ってしまうと、「瞑想状態に入ろう」という思いも、一つの思考にしか過ぎません。 皮肉にも、思考にハマっていると、それがどんなに素晴らしい思いであっても、その思考を抱いていて手放せないでいる間は、瞑想状態には至らないのです。 つまり、THINKING(思考力)が働いている間は、MEDITATION(瞑想)に至らない、ということです。 逆に言うと、THINKING(思考力)が鎮まりかえると、MEDITATION(瞑想)状態は自動的に在る、ということです。 こんな風に言うと、瞑想プラクティスにおいて「思考を排除したい」とか「無になろう」といった反応が芽生えてくるのも自然だと思いますが、これらもまた一つの思考概念に対する次なるリアクション思考概念にしか過ぎないのですね。 わたしの経験から言えることは、決して思考は悪いものではないと言うこと。 なので、思考をワルモノ扱いしないでくださいね。 思考は思考。それなりの役割と果たしていると自覚しましょう。 思考が働いてくれるから、お買い物を覚えていたり、適切な判断ができたり、必要に応じて人生をプランニングできます。 ですが、思考ばかりになってしまっていると、ハムスターの車輪のごとく、前述の例のとおり一つの思考がまた次の思考の引き金となり、連鎖反応を起こし、煩悩に浸かりやすく、自分で自分を苦しめてしまったり、メンタル面から多大なストレスを繰り広げてしまいます。 これは何よりわたし自身自分のヨガや瞑想プラクティスから言えることなのですが、ストレスとは「オーバーヒートしてしまった不適切な思考力」と言えるとわたしは考えます。だから、自分の心における思考力をより上手く扱い、自分の思考と仲良くなることができたら、ストレスは激減するはず。それでは、どうやって自分の思考や思考力と付き合っていけばいいのでしょうか? まずは、すべての思考を「ただ一つの思考」として観て、見極め、扱うことです。 Don’t give any one thought too much value. Especially if it is a stressful thought. どんなに”手放せないわ”と思っている思考であっても、それも何千何億とある中の「ただ一つの思考」として観て、扱って下さい。特にその思考が、あなたにとってストレスの要因となっているような思考や観念なのであればなお、です。 この「観る」というWitness(目撃・観察する)という客観視する視点が、瞑想の世界への入り口となり、鍵をにぎります。 最近は科学的にも証明され、世界的にも認められるようになりましたが、これこそがズバリ、瞑想やマインドフルネスが一番教えてくれることであり、現代病の大敵であるストレスの解消に最も効果的なプラクティスなのです。繰り返しますが、瞑想やマインドフルネスのプラクティスはDOING(やること・すること)とは違うので、最初のうちは「つまらない」とか「訳わからない」と思うかもしれませんが(これらが最もclassicなメンタルリアクションでもあり、)BEINGの世界である瞑想とは、Presence of Mind(気づいている・自覚のある心の状態)から「ただ在ること」に至る感覚なのです。 従って、本気で瞑想をプラクティスする者にとっては、坐っている最中に例え自分のマインドが思いっきり「つまらなぁぁーーい」とか「ムズムズして動きたーい」と叫んだとしても、その思考自体があまり眼中にないというか(笑)、ただ一つの思考として、それもサラリと流していくのです。そうすると、また次の思考が浮かんでくるので、ご心配なく。(笑)そしてそれが過ぎたらまた次もやってきます。究極的には、それが(動きを伴うのが)心の性質であると言えます。 しかし、そうやって一つひとつの思考を観てはまた手放していくことを鍛錬していくと、だんだんとどんどん、思考と思考の間に在る「スペース」「間隔」にも気づけるようになってくるでしょう。 瞑想やマインドフルネスなど、内的なプラクティスについての認識が一般的に高まるようになったことは本当に素晴らしいことです。 その反面、わたし達のような先進社会のハイペースな毎日の中で、瞑想やマインドフルネスを取り入れようとすると大きな落とし穴があることも事実です。 それは、「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」といった「得るもの」や「追求するもの」意識で瞑想をアプローチしてしまうこと。 つまり、既に忙しい人が、ストレス解消のために「瞑想しなきゃ」という風に、瞑想も追加するように「TO DO LIST(やることリスト)」に載せてしまうことです。 みなさんは、瞑想やマインドフルネス… そしてあなたのヨガプラクティス、「TO DO LIST」に載せていませんか? ここらで一つ、PAUSE、BREATHE、CHECK. And if… そしてもし、 「ああ… わたし、瞑想もヨガも思いっきりTO [...]

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2015/06/30

以前にも紹介させていただいているのですが、やっぱり大好きなこの言葉。多くの方々とshareしたいので、またUPします♥   すべての人類を愛し仕えなさい。 人々を助けなさい。 明るくありなさい、思いやり深くありなさい。 抑えきれない歓びの発電機でありなさい。 すベての人々の顔に神と善良さを見つけなさい。 過去をもたない聖者はなく、未来をもたない罪人はいない。 すべての人を讃えなさい。もし誰かを賛美できない時は、 その人をあなたの人生から自由にしてあげなさい。 オリジナルでありなさい。創意に満ちていなさい。 勇敢でありなさい。何度も何度も勇気を奮い起こしなさい。 模倣をやめなさい。強くありなさい。 前向きでありなさい。他人に頼るのをやめなさい。 自分の頭で考えなさい。自分自身でありなさい。 すべての完全さと聖なる徳はあなたの中に秘められている ・・・世界にそれを示しなさい。 叡智もすでにあなたの中にある ・・・それを輝かせなさい。 神の恵みがあなたに自由を与えることを。 あなたの生を薔薇のごとくにあらせなさい ・・・沈黙の中で、薔薇はその芳香を言葉とする。  Photo from インド巡礼の旅 2008年5月。Uttarkashi Shiva Temple.   ※※※ この言葉に出逢ったときのお話。 その昔。 今から13年程前のことです。 わたしがヨガと出逢って、暮らしも健康も、すべてが激変していた頃。 すんなりとベジタリアンになったわたしでしたが、 当時は外食できるところが全くなく、自炊が増える一方の 一人暮らしをしていた大学生でした。 当時ベジタリアンに対応してくれるレストランは片手で数えれる程しか なかったのでよく覚えているのですが、その頃住んでいた杉並のマイナーな駅に、 一件あったのです。 偶然にも、ほんとーーーに素敵な、小さな小さなベジタリアンレストランが あったのです。 心もカラダも大変な変貌途中で、独りでなんだかすべてに向き合っていたわたし。 そんなわたしは、行き詰まった時に、帰る実家もなく、 ただ家の近くにあったこのレストランへ独りで行って、 大好きなたかきびハンバーグの玄米定食に癒されるのでした。 いや、何度も救われたと言っても過言ではないでしょう。 ある時、 この小さなレストランで、初めて 小さなお手洗いに入ってみると、鏡の横にこの言葉が貼ってあったのです。 あまりに感銘を受けたわたしは、 「すみませんコレ、コピーしたいのですが、貸していただけませんか?」 と、お母さんに尋ねたのですが、お母さんは 「持ち出しは困りますが、そこで写すのならいいですよ」と。 そこで、わたしはトイレで見かけたこの言葉を、 [...]

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