philosophy

philosophy2016/01/07

Mind, Thinking, and YOGA.

Albert Einstein said:

We cannot solve our problems with the same thinking we used when we created them.
(私たちは問題を作ったのと同じ考え方で、その問題を解決することはできません。)

And this just might be one of the most powerful lessons i keep learning from my yoga practice.
これは、わたしが長年のヨガプラクティスを通して学んできている、もっとも貴重な知恵の一つです。

なぜなら、YOGAというプラクティスが、カラダの面・メンタル面・精神面をつないでいくためにデザインされているホリスティックメソッドだから。そしてYOGAのプラクティスを、正しく継続的に行いながら、人間におけるこれらすべての面を結び、統合していかずにはいられないから。

なのに…、頭ばかりに偏っている現代社会では、頭の中で考えて出てきた問いに対し、頭の中で解決して処理しようとすることが普通であるように思うのです。

わたしにとって、こんな時に大いに役立つのが、ヨガのアーサナ練習。
考えても考えても抜けきれない、コントロールのきかない思考が、グルグル頭の中でまわり始めた時に、気がつくとずっと延々と頭の中で考え続けちゃったり、それで寝られなくなったり、答えが出せなくて落ち込んでうつっぽくなったり…。そんな時、問題を問いかけたまま、ちょっと違った視点に自分の心を開いていくために、ダイナミックにカラダを動かしたり、呼吸を入れちゃおう!というヨガの活用法は、それはもうビックリするまでに効果的な手段なのです。

逆に、ヨガプラクティスの中では、カラダを扱っていく中でも、確かに心(メンタル面)の力をもって身体性をバックアップしてあげたいものでもあります。

例えば格闘技を観ていると、相手に思いっきりパンチを当てられてひるむ瞬間にこそ、「Just Go!」と、新たな選択・思考力により、一瞬のナチュラルなリアクションをぬりかえるファイターがいるのです。むしろ、彼等はそのためにハードなトレーニングをこなしているのでしょう。


同じように、私生活において、誰かがわたしのことを傷つけた時。または傷つけられるようなことをされたり、言われたりした時。わたしが思いっきり、そのパンチを受けた時。

わたしの心は、一瞬ひるむのでしょう。
次に、自動的なリアクションとして、わたしは萎縮して消えてしまいたくなります。または、逆にもっとひどいことを言い返したくなります。
このような「自動的なリアクション」は、自分を防衛するための働きがあるものですが、防衛している自分(防衛を必要だと感じている自分)は「小さな自分」であり、いわゆる「エゴ」と呼ばれる自分に過ぎないのです。It’s not usually your “best self” or your “higher self”. それは通常、”最善の自分”でもなければ、”ハイヤー・セルフ”と呼ばれる自分でもありません。

自分を見つめること、知ること、見直すことを通してヨガが教えてくれるのは、このような自動的リアクションとは、自分の過去の経験から”プログラム”されているようなリアクションであって、もしもあなたがその通りに生きてしまうのであったら、それはあなたは、自分の「今」を「過去」からのプログラミングによって制限しているも同様だということなのです。

リアクションから⇒ チョイスへ。

ヨガは、ぎゅーーっと詰まった習慣づいた、過去からの在り方や自動的なリアクションの合間に、少々のスペースを設け始めるかのように、自分の心を見つめ、その心の奥にある一番イイ部分、your “best self” or “higer self”から生きようとすることを可能にしてくれる手段です。

その問題を作った、同じレベルの心(同じような考え方)で問題を捉え、ぶつかり合い、答えを出そうとするのではなく、RISE ABOVE.
むしろ、そもそもその問題を見いだしたレベルの心を一気に超越していくかのように、まずは間を持ち、自分の中にスペースを作って、本当にアクションを起こしたいチョイスを、改めて選択してみることです。

It takes practice.
Actually, that IS the practice.

それこそがプラクティスなのです。

また、新たな道を「選ぶ」というところでは、それがカラダを通して行動にまっすぐと映し出されていくということ。
That is the key.



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メディテーションやマインドフルネスなど、内なるヨガの世界にフォーカスし、詳しく紐解いた解説に加え、その内容を自分で実践していくためのアクティビティを豊富に取り入れた、わたしが自信をもってpresentできる、vedaの特別集中講座『インテンシブ・スタディ・サークル』(ISC)。ISCについて、スケジュールなどを含む詳しい情報はこちらのページをご覧いただいた上、お気軽にスタジオにお問い合わせください。(説明会のようすはコチラ
※2016受講の早割は明日、1月8日の期限となっております。Y.Mさん

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2016/01/07

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2015/12/03

ヨガ哲学とかヨガ・フィロソフィって、ヨガの世界に関わっているとよく耳にしたり目にしたりする言葉だと思います。でもなんかこう、気軽にスポーツジムなどで取り組む一般的なヨガとはまたちょっと違ったニュアンスでもありますよね。「哲学」とか「フィロソフィー」と聞くとどちらかというと学問とか、ちょっと堅苦しいイメージを持つ人も少なくないと思います。 実際のところ、ヨガが「生きる上での知恵」を指している以上、それは心の在り方や態度などといった、内面がどうやって日常生活に活かされているかという部分が間違いなく関わってきます。しかし本当は、ヨガが意味していることやウパニシャッドなどの古典が指していることは決してテキストの中の息吹のない”ドライな哲学”なんかではなくて、本当はその真逆。それは「生」においてしっかりと根付き活かされる、実践的な気づきを指しており、そういう意味ではとってもpassionate(情熱的)な知恵なのです。 それは、グルジの有名な言葉「ヨガとは99% Practice、1% Theory」でも言い表されていることだと思います。 But what does that mean, REALLY?? でも… それがわたし自身の個人的な生き方に関わる、パーソナルな意味合いとはいったい何なのでしょうか? ここでは、知ること・知識を得ることが「実際のアクション(行為)における変化につながること」を指しているとわたしは考えています。 すなわち、True Learning = 真の変化につながること。 なのではないかと思うのです。 My friend and 先輩のヨガ・ティーチャーが昔よく言っていました。 「もし、自分が今のままでよくて、変わりたくないのだったら、ヨガに来るな」と。   辛口! な意見でもありますが…。(笑) それにも真理はあると思うのです。なぜなら、もしホンモノのヨガに取り組んだら、それが”カラダだけ”の行いで済むことはまずなく、カラダと呼吸と意識との深ーーいつながりを感じずにはいられない。そして、それがどこか奥底で深ーーーく「正しい」と感じている自分がいることも、気づかずにはいられないでしょう。 そうやっているうちに、自分の在り方が根本から揺すぶられて、意識のレベルから変わらないでいることができなくなるのです。 腹の奥から、以前は気づくことのなかった何かに気づいて、それを知ったのなら、自分自身の在り方が変わらずにはいられない。 グルジのお孫さんにあたり、わたしの師でもあり、現KPJAYIディレクターのR.シャラート・ジョイス氏も言っていました。Spirituality is いたって Practical、と。 スピリチャリティとは、いたって(行動につながる)実用的なものであり、また、そうあるべきなのです。 いつの時代でも、どの国でも、何歳でも…。 宗教、性別、仕事、信仰をも何も問わず、 ただただ「使える精神力」「精神との付き合い方」こそが、ヨガそしてウパニシャッドなどの古典が指している叡智なのではないかと思うのです。 Have you ever thought about that? みなさんはそんなこと、考えたことがありますか? なぜなら、もしその扉を開けたことがないのなら…、、 もしかして、その扉に近づいたことすらないのなら…、、 そこには、計りしれないパワーが隠されているのですから。     ♡Please COME:クラスのお知らせです♡ 【12月6日(日)15:00~16:30】今週の日曜日は2015年、vedaラストのわたしのWS『INDIANスピリチャリティと瞑想の世界』!座学講座で、今の日本の暮らしに活かせる、とびっきり実用的なINDIANスピリチャリティのヒント、そしてインド的な考え方やアプローチを易しく解いていきます。みなさんの気になること、聞きたいことがあったらぜひ当日質問をお寄せくださいね☆ALL LEVELS WELCOME☆ヨガの流派やレベルを問わず、初めての方からどなたにでもお気軽にご参加いただける座学講座です。 [...]

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2015/10/03

また…青い目の僧侶、ことネルケ無方先生に、わたしの知らない日本語を教えていただきました。(笑) さすが仏教の世界で日本語を学び、覚えてきており、数々の著書を持つネルケ先生であるからこそ、インター育ちのわたしにとっては最早めずらしいことでもなんでもないのですが。今回はvedaの母(!)スタジオ・マネージャーを務めるOちゃんもネルケ先生に「これ、なんて読むんですか?」と聞いていたから、ちょっとほっとしたわたしでした。(笑) そったくどうじ。 と読むそうです。 「啄」の意は、まだ卵の殻の中にいるヒナ鳥が、内側から殻をつつくことを表しているそうで、自然界では何事もウルトラ素晴らしいタイミングで起こるということで、どうやら実際のところ母鳥も、このタイミングで外側から殻をつつき、砕くことを手伝うそうです。「啐啄」とは、何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現だそうです。 これはきっと… 兵庫県の山奥にある安泰寺という、ほぼ自給自足しているお寺の住職を務めるネルケ先生のvedaでの禅ワークショップの際に、以前わたしが「師匠と弟子の関係について教えてください」という質問を投げかけたことから始まっている流れでもあり…。禅において悟りを開こうとしている弟子に、師匠がうまく教示を与えて悟りの境地に導くことを指す表現であるそうです。 今回、金曜日のわたしのヨガ基礎クラスにご参加いただいたネルケ先生ですが、その際に、こんな棒をいただいたのです: これは、坐禅で坐る練習をする時に(希望する方に)使われることがある警策(きょうさく)という棒だそうですが..。 この秋からFreshにveda講師として加わっていただいたネルケ無方先生。「vedaでのワークショップの際に使わせていただくので、よかったら置いてください。もちろんmae先生もヨガの時に使っていいです」と。(笑) ということで、早速この棒でアジャストしちゃうぞおぉ〜と冗談をいいながら進めた基礎クラスとなりました☆ けど何より、この「啐啄同時」という言葉はわたしのハートにもズバッと入るものがあるのです。 個人的な捉え方かもしれないけど、ヨガの世界でだって、アーサナ練習や呼吸、そして瞑想練習。カラダだけに留まらない、カラダと心と精神をも統一していくプラクティスを継続していく者にとって、「自分」独りの力では届かない境界線を感じることは確かだからです。 それは、ヨガや禅だけでなく、人生そのものに言えることでしょう。 人は、独りで生まれてこないし、 人生は、独りで生き、悩み、また解けるものでもないと、そう感じるのです。 Just as much as we inhale- we must exhale. 頑張る、という働きには「自分の努力」が欠かせないものです。これは、呼吸で言うと息を吸うことにあたり、陰陽でいうと「陽」の働きで、中心へと向かっていく、集中の動きです。 同時に、「吸う」や「頑張る」の対極が「吐くこと」であり「手放すこと」。それが「陰」の時間です。 すなわち、吐くこととは「頑張って」は、できないのです。 その意味そのものが、Let It GO. なのです。 We 頑張る、 and then we Let It GO. ひいては、頑張ったままだと、手に入らないお恵みがある、ということを指しているのだと思います。 「Ask, and it shall be given to you.」 キリスト教の聖書にだって、そんな言葉があります。 尋ねて、求めて、初めて入ってくる”答え”がある。 また、受け取る準備をすることは、尋ね求めた後に、「受け取り体勢」に入ることでもあり、それは「答え」の形やタイミングを、自分の勝手な思いによって閉じ限らないことも意味しているのだと、わたしは自分のプラクティスにおいてつくづく感じるようになりました。 コンセプトスタジオvedaでは、オープン当初から「カラダだけに留まらない」ヨガであったり、カラダ/心/精神の調和を計らう大きな健康のプラクティスを提供することを目的としております。 この度、こんなにたくさんの人気著書を持っているネルケ無方先生のような本物のTeacherをvedaにウェルカムできることは、わたしにとっても大きな誇りであり、ぜひみなさまにオススメしたいのです! ネルケ無方先生の、officially [...]

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