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2012年1月


philosophy

2012/01/31

実は最近、ちょっと迷っていることがあります。 私はどちらかというと、お洋服の買い物でも、好きなレストランのメニュー選びでも何でも、あまり選択に迷うタイプではない方なのですが..、ここのところ大切な決断について、迷いがある数日が続いています。 迷いがある時って、多くの場合、不安感や緊張感を伴うと思いますが、先日私は、友人に「めいさんって、不安になることはありますか?」と聞かれて、改めてこのことを自分の中で見直す機会をいただきました。 「うーん、なくはないけど、今は、不安感がある時の対処法というか、不安という気持ちとの付き合い方が自分の中で変わったかな…」人に聞かれて、初めて自分の今の答えを確認できることがあります。 私、昔は結構な心配性だったので、不安感はひどく重たく、緊張から胃が痛くなったり、肩コリを抱えたりしていました。今もその傾向は潜んでいるんだけど、ここ数年の経験と反省から学んだこともあります。 不安感とは、「わからない」という心境から芽生える感情であり、恐れに基づくもの。 しかし、本質的に「わからない」という状態の根本は、決してネガティブなものではないのです。 「わからない」という状態は、本来ただ「わからない」というだけのことです。 そこから生まれる二次的な感情は、大きくわけて2つあります: 1)「わからない。 わぁぁ!どうなるんだろう??」と純粋に圧倒されたり、想像の届かないわからなさ。 2)「わからない。どうなるんだろう。恐い…、心配、考えたくない…」という不安から来るわからなさ。 当然、その瞬間の「真実」がどちらなのかもわからない。であれば、圧倒されるべきなのか、恐れるべきなのかも、結果がでてみないとわからないのです。ただし、ここで気づくことは、同じ「わからない」という状態に、2通りの反応が可能だということ。 今でこそ私は、先々がわからなくて不安になったとき、素直に「わからない」という根本的な状態に一旦戻るように心がけています。それを無理にワクワクに変えようとする、感情偽造のようなこともしませんが、ただシンプルに「わからない」という究極的にオープンな状態に降伏します。それだけでも、胃の緊張は和らぐ気がします(笑) そして何より、その「わからない」という状態が、一時的である、ということも、最近よくわかってきた気がします。ちょっと大人になったのかなぁ?(笑) 今、答えが出ていないものに対して、無理に答えを求めるのではなく、「今はわからない」という状態を素直にシンプルに認めるだけで、それは「いつかは答えが出る」という信頼につながっているのです。そう感じられるようになり、不安感に浸る機会が少なくなったように思います。 しばらく前に、veda近くでお散歩をしていた時、2匹のバグ犬がコンビ二の前で飼い主を待っているのを見ました。彼らは、「待っていた」けど、「待っている」ことをワクワクぴょんぴょん楽しんでいました。そこには、飼い主が絶対に戻ってくる、と信じている喜びがあり、不安感はありませんでした。本当は飼い主が戻って来る瞬間まで、本当に戻って来るのか来ないのかはわからない。だけど彼らには、経験や絆から築かれた信頼があったから、「待つこと」も喜びに溢れていました。 FAITH- 信頼とは、Lifeにおいても、経験を通して育んでいきたい、私と現実との絆であると思います。私には、この先何がどのようにして起こるかはわかりません。でもきっと、何が起こってもそれは起こるべくして起こることであり、そういう意味で、目の前で起こる現実こそが、究極の真実であり、神さまの言語なのではないかと思うのです。 私は、それに降伏します。そして、その真実に近づき、絆を深められるよう、心の内で大切に、そして着実に信頼を育んでいきたいと思います。

journal

2012/01/26

ちょっとめずらしいツーショットじゃないですか?? 昨日久しぶりに荻窪インターナショナル・ヨガセンター主宰のハラクマ・ケン先生と再会しました。ケン先生は、私に初めてヨガを教えてくれた先生。まだまだヨガが日本において怪しくてマニアックだった時代から(笑!)、着実に知恵を伝授してくれています。私のクラスや取材の際も「初めてのヨガ体験」について語る時、インドの先生やケン先生のお話がよく出てきます。日本においてヨガを学ぼうとしたことのある方なら、一度は彼の名を耳にしたことがある、あるいはクラスに参加したことがある、日本ヨガ界の元祖横綱。 私の中では、ちょっとした「お父さん」のような存在で(誠に勝手ながら…)、どんなに近くにいてもあまり近づけない、けれどいつでもどこでも何となく温かく見守ってくれている(??のだろうか、私の想像だけでなければ…)、遠くて近い、青空のような人。でも、ずっと会っていないとやっぱり時々「会いたい!」と思います:)昨日の朝は、爽快な青空の下、そんなケン先生に会いにでかけました。 今年は彼の本拠地である荻窪IYC本店の移転も決まっており、お互いにさまざまな変化があり、話が弾みました。私が初めてヨガを習ったあの空間、old荻窪スタジオの4階スペースは、「ケン ヨガスタジオ」としてリニューアルするそうです。今回は、そこで私のワークショップを開催しないか、とのお誘いをいただきました! ケン先生に初めて「めいちゃん、ヨガ教えない?」と誘われてから早8年。これまで、私は生徒として汗・水・涙・血まで流した、4階のあの思い出深い道場で、自分が「指導者」になることは、あえてしていませんでした。しかし、昨日は二つ返事でOK。そういうタイミングが来たんでしょうね。光栄に思います。 ウミガメさんが、自分が産まれた浜辺に、今度はお産のために帰る。。。 そんな気持ち?! みなさん、ぜひそのお産に立ち会ってください!(笑!!) またいろいろ、時期や企画が決まったらお知らせしますね。ケンさんのところはケンさんのところで、vedaとはひと味違った形の企画にしたいと思います。 今年のヨガフェスタについてのお話もして、諸々catch up。いつの間にか、ヨガの話に花が咲いちゃいました☆そして私はその芳香を胸いっぱい嗅がせていただける、lucky student。 Thank You, Ken-san! 密かに熱ーいヨガ・トーク。次回の続編が楽しみです:)


journal

2012/01/21

こちらNHKテレビテキスト『きれいの魔法 2月号』、本日1月21日発売になりました! p.32~41まで、みっちり丁寧に「はじめてのアシュタンガヨガ」を紹介しています。アシュタンガヨガのメソッドについて、基本ポーズである太陽礼拝のA&Bを写真とテキストで伝えています。とてもわかりやすくて見やすい、使いやすい実用書になっています。 アシュタンガヨガの流れるメソッドを習得するには、信頼のおける指導者に学ぶことに勝る方法はありませんが、近くに教室がない場合、ぜひこのようなテキストで基礎を覚え、できる時に教室へ出向いて練習法を確認していただければと思います。また、すでに教室でクラスを受講なさっている練習生にとっても、とても良い復習と確認になると思います。 こちらはNHKエデュケーショナルのテレビ番組と平行している教材なので、ぜひ番組と併せて参考になさってください。 NHKエデュケーショナル『きれいの魔法』にて、私がアシュタンガヨガを紹介させていただいているO.A.は: 2月2日(木)22:00~22:25、再放送 2月9日(木)13:05~13:30 の予定です。 今回の写真、とっても気に入っていて、すごく良いページの仕上がりになっています!ぜひご覧になってください☆ これを機に、私はこちらのテキスト(月刊雑誌)で、ヨガのあるライフスタイルについての連載が決まりました:) こちらの撮影も、毎号同じスタッフとご一緒させていただくことになりました。新連載も乞うご期待!


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2012/01/17

こちらは、先日行われたNHKエデュケーショナルテレビ『きれいの魔法』という番組の収録セットにて☆NHKの黒崎アナウンサー(写真左)のカメラで撮っていただきました:)今回、私はアシュタンガヨガのメソッドと、基本ポーズの太陽礼拝を紹介させていただきました。中央のお二人は、ホームページの応募によりご協力いただいた生徒さんです。実際に番組内で、私の指導に従ってアシュタンガヨガの太陽礼拝にチャレンジしていただきました。 『きれいの魔法』のテレビO.A.は、2/2(木)22:00-22:25 、 再放送2/9(木)13:05-13:30 だそうです。ぜひ見てみてくださいね! こちらの番組に先駆けてテキスト版(雑誌)も発売されるのですが、こちらは今月1/21に発売されます☆ 「学び」に対して、非常にまじめな姿勢の視聴者・読者の方が多いというNHKエデュケーショナル。黒崎アナはもちろんのこと、ディレクターやスタッフの方々のプロフェッショナリズムには、本当に感心しました。「さすが」のひと言でした。ヨガはとても深い世界だし、その内の一つのメソッドとしてのアシュタンガヨガは「途切れのない流れ」が特徴。その世界を、どうやってまったく初めての視聴者や読者に伝え、実践できるよう易しく、確実に番組内容をつくり、さらには決まった尺の中に納めるか…。相当ハードなチャレンジだったと思いますが、番組収録を終えたスタッフの方々が「すごくわかりやすかったです!」と言ってくださったのが、嬉しかった!いやいや、私自身がセットに入る前に、ディレクター率いるスタッフは何度も念入りに打ち合わせを行い、番組構成やカメラカットなど、最適な伝え方をとことん研究されていたのです。だからこそ、収録当日もすべてオンタイムに終わる。ホント「さすが」のひと言に尽きます。 今回のテーマをきっかけに、私は来年度から月刊テキスト『きれいの魔法』でヨガとライフスタイルについての新連載が決まりました☆こちらもお楽しみに〜!早速vedaが定休日の明日、こちらの初回の撮影に行ってきます。 今月は他にも、先日1/15にマタニティ雑誌「Pre-mo」の春号が発売されました。マタニティ・ヨガを紹介しています。この撮影にモデル協力していただいた妊婦studentのKさんは、先日元気なbabyを無事出産。めちゃくちゃ安産だったそうです。おめでとうございます!本当に良かった:) 今月は「GQ」にも出ます!盛りだくさんですね。発売日等またお知らせさせていただきますね。


philosophy

2012/01/14

私は、自分のことを宗教的な人間だと思ったことはあまりありませんが、思い返してみれば、いつもどこかハートの奥に「神さま」の存在がいたり、何となく「善」という存在との会話はいつもあったように思います。そう言えば、昔から手紙を書くことが好きだったから、小学生の頃は神さまに手紙を書いたりしていました。少し大きくなったら「Dear God,」と自分の胸のうちを書き出すことで、自分の中身を整理する心地よさも覚えました。 もし、人が「善」や「神さま」を、遠くにいる存在として考えるのであれば、その人は今、目の前にいる人たちを犠牲にしてまで、その概念に従おうとするかもしれない。隣に座っている、自分と信念の異なる人を軽蔑してまで、自分の中の特定な「神さま」や「善」という概念を讃えようとするかもしれない。でも、本当は限りない「神さま」という存在を、自分の中で特定な「概念」に決めつけ、それによって共に生きる人たちを差別してしまったら、それは本当に有用なものだと言えるのでしょうか? 何が良いとか悪いとか、あっていいこと・あってはいけないこと、いかなる観念であっても、最終的には、それを信じていることが、今の自分にとって本当に有用で、役立つことなのかどうかは、常に自分自身で考えなければならないのだと思います。 私たち人間は人として、より良い未来のためにそうして「今、ココで」「自分自身」でスタートするしか方法がありません。だからこそ、聖者と呼ばれる人たちは「平安とは自分自身の心ではじまる」ということを時を越えて語り継いできたのではないでしょうか。 さらに言うと、人として生きる以上、そうする責任があるのではないかと思うのです。そうしないと、私たちには一つの終末しかないからです。それは、争いの絶えない結末なのです。 自分のハートの奥底の真実を、「善」と呼ぼうと「神さま」と呼ぼうと、何でもいいのです。ただし、それによって生まれるモラルを実行に移すこと、それを、他の誰でもない自分自身の「今、ココの」常日頃の生き様で始めること。それこそが、自分と「神さま」との関係をリアルで確かなものにし、そうすることで、本当の「善」が初めて、「今、ココで」生きることができるのではないかと思います。 今日は私が大好きなポエムを紹介したいと思います。(日本語訳は特に見つからず…、今回はmy translationでごめんなさい。) ——— あなたは、神の手 今この世において神さまの身は、あなたの身体だけ 神さまの手は、あなたの手 神さまの足は、あなたの足 神さまは、今こそあなたの目を通して世を観て 神さまの慈善を世にあたえ 神さまはあなたの足でこそ歩み、善をおこない、 あなたの手でこそ、今、人とめぐみをわかちあう  YOU ARE CHRIST’S HANDS  God has no body now on earth but yours, No hands but yours, No feet but yours, Yours are the eyes through which he is to look out God’s compassion to the world; [...]

journal

2012/01/08

新年あけましておめでとうございます。 若干出遅れた感がありますが…(笑)。いえいえ、昨年暮れからお正月休み明けまで、じっくりと必要だった骨休めをしました。 31歳でむかえる2012年。 昨年の暮れには、一段と感慨深いものがありました。 大変な出来事があった忘れられない年。2011年を振り返って見れば、今に至るまでのすべてのことを考え直さずにはいられませんでした。 17foreverー 私の心は、永遠に17歳。Lifeに対するワクワク感といつまでも新鮮な遊び心を持っていたいと思っているから、今もなお、17歳のあの感覚がフレッシュです。 本当は、31歳の私はズッタズタで傷だらけなんだけど…。なぜか、lifeの様々な経験や傷を通して、閉ざされることなく、私の心は、なおオープンになったように感じています。 一人では耐えられない事態に見舞われたとき、人は初めて人に助けてもらう喜びと感謝を覚えるでしょう。自分のみじめさや無力さと隣り合わせに、そんな深い愛情や絆があったり。すると、どんなに弱くても、不思議と自分も人を助けたいと感じるようになりました。そして人を助けられる喜びと感謝を覚えると、いつの間にかちっぽけな自分のみじめさや淋しさなんてなくなっていました。 これは、my lifeにおいてのことなんだけど…、昨年の東日本の被災によって、私たちが噛み締めているのは、そんな気づきや変化ではないかと思う。 人は人である以上、生涯愛を求めるでしょう、きっと。それがいかなる形であっても。愛は対象が必要なんだよね。命は決して孤立した存在ではなくて、生まれてくるにも、生きてゆくにも、働いていくにも、他の人が必要なのです。 それを観て、知って、人によって自分の存在が成り立っていることを本当に知ることができたら…。 もしもすべての自分の言葉や行動、態度、さらには思考までもその真実に基づいたものにできたら…。 そうしたら、 You would never treat anyone with anything less than the best Love you’ve got to give… You would never so much as glance upon a fellow man with hate or disgust in your eyes. 自分が与えられる最良の愛以外の態度で人を扱うこともないだろうし、 憎しみや嫌悪感をもって人を見ることは、二度とできないことでしょう。 どうしてこんなに当たり前なはずのことが、こんなに難しいのだろう? でも、同時に、自分が人によって生かされているということを認めることは、本当は何も「私」 がコントロールできることではないと認めるということ。腹をくくって「私自身の存在」すらも、私自身のコントロールにないと知ることではないでしょうか!それは正に、Divine Chaosに身を委ねることであり、人間のエゴにとって、それ以上恐いことはないのかもしれないと思う。 [...]