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2015年10月


journal

2015/10/31

前回の記事『ヨガは鏡を使わない。 』では、伝統的なインドのヨガと最近主流になってきている、欧米でアレンジされてきたヨガの違いについて整理しながら解説しました。 今回も前回に引き続き、現代ジャパニーズにとってちょっと意外かもしれない、ヨガの基礎知識について掘り下げていきたいと思います。 前回の記事では、ドリシュティ(視線)を外に向けないことは「エネルギー漏れ」を防ぐための意味があると書きました。ここでいうエネルギーとは、ヨガ中に高め、また循環を促している生命エネルギー(プラーナ)のことを指しています。 実は、この同じ理由で、インドの伝統的なヨガの練習では、プラクティス中にしゃべらないのが基本なのです。 まず、しゃべることとは、吐く息であることを理解しましょう。 わたしが専門としているアシュタンガヨガは、数あるヨガの種類の中でも朝向きで、体内環境の強力な浄化と体内エネルギーの活性化にはもってこいなのですが、アシュタンガヨガでは吸う息と吐く息を均等・均一にしてアーサナ練習に取り組みます。逆に、人はおしゃべりをしていると必然的に吐く息が長くなり、吸う息はちょうど水泳の息つぎのように、合間に挟む短い呼吸になります。(11月発売の次号雑誌ヨガジャーナルでも均等均一呼吸について紹介します☆)この理由で、例えばあまり身体を動かしていない日でも、たくさんおしゃべりをした後や、大きな声で歌を歌った後(カラオケとか?!笑)などはふぅ〜っと力が抜けて疲れたぁ… と感じることがあるでしょう。 ヨガ中は、エネルギーを高め、温存していくので、呼吸をムダにしない=エネルギーをムダに使わない。 これは、直接的にプラーナ(生命エネルギー)の温存につながることなのです。   さて… では、お水を飲まない?! というのはどうでしょう? 最近はホットヨガやフィットネスジムのクラスからヨガデビューする人が多いので、ヨガクラスではむしろ先生に「たくさんお水を飲みましょう〜」と言われることがあるかと思います。 しかし、実はわたしはクラス中に生徒さんに(妊婦さんなど、特例となる方を除いて)「練習中はなるべくお水を飲まないでください」とお願いしています。 でも、アシュタンガヨガって途切れなく動くし、最初の頃は特に、結構汗をかくし… ツライ! と思うかもしれませんが、実際に、前回&今回の記事で触れてきているとおり、伝統的なプラクティスの基礎:ドリシュティ(目線)や呼吸(しゃべらない)のプラクティスを守ってやってみると、意外と練習中は集中力が高まり、喉が渇かないのです。 これは、練習によって循環が良くなった体内エネルギーで潤っている状態です。またこのような状態では「呼吸で十分」という感覚があるでしょう。 もちろん、ヨガによって促さられる浄化を進めるためにも、練習後はしっかりと水分補給していただきたいのですが、練習中にお水を飲まない理由、それはやはり: ・途切れないヴィンヤーサ(呼吸と動作の一致)の流れ、と ・途切れない均等・均一呼吸 を妨げないためなのです。 …なんとも徹底した原則! 「お水ぐらいイイじゃないの!」と思うかもしれませんが、これがきっと「精神統一」のために継承されてきたインドのヨガと、「フィットネス」のためにアレンジされてきたヨガの差でもあると、わたしは感じています。 で、長年プラクティスをしているわたし自身はと言うと、やはり練習中は、練習の流れをさえぎってでもお水が飲みたくなることは、まずないのです。 ここで重視したいことは、わたしがインドで教わってきているヨガにおいては「呼吸やヴィンヤーサの流れを優先し、いかなる理由においても、それを自らさえぎる習慣にない」ということです。 このような考えのもとに、指導中のクラスのみなさんを見渡してみると、やはりですね… 途中でお水に手を出したくなったり、、 髪を結わきなおしたくなったり、、 ちょいとお手洗いにいこっかなぁ〜、、 なんていうのは、明らかに「ここらで休憩挟みたい」っぽい生徒さんたちなんです♡ 笑。 それもカワイイから、いいわっ♡と思いながらも(笑)、 最終的に目指すところ、そして古代インドから伝わるメソッドの意味合いもしっかりお伝えしたいと思います:) そうそう、ヴィンヤーサ&呼吸の流れを途切らせないことについて、かつてグルジ、シュリ・K・パタビジョイス氏のそのまたグルジにあたる、シュリ・T・クリシュナマチャリヤ氏は、「Life is a Vinyasa」(=人生はヴィンヤーサ)とおっしゃっていたそうです。 人って、一番キツくなったり、辛くなったりした時に、「ストォ〜〜ップ!!」「ちょっと待って!」と人生一時停止したくなるじゃないですか?? (ちなみに、わたしはお産の一番痛いところで、すーべーてーストップして、ぜーーんぶなかったことにしたかったのですが..。笑) けれど、日が暮れて、夜になって、また朝日が昇り…。 また川の流れが海へとつながり、海がまた雲となり、雨となるように..。 大自然の営みには「静止」がないように、人の命だって「止まらない」。 ヨガは、Life Science(「生きる」ということのサイエンス)であると伝えられていますが、まさにLifeのサイエンスであり、そのためのプラクティスにおいては、とーーにーーかーーく、その流れをさえぎらず、最初のうちはついていくことが大変でも、「流れに乗る」ことを身につけていくことを目指したいものなのです。   ※伝統的なヨガのプラクティスでは、「正しく、継続的に行うこと」そして「適切な師のもとでの練習に努めること」が重視されています。 上記は、伝統的なプラクティスの作法ではありますが、人は個人差があり、またその人のその時に合ったプラクティスをすることが大切です。どんなに確かなことにも「例外」があることをも覚えていてくださいね。地方に住んでいる方も、できれば年に1~2回でもいいので、しっかりと師のもとで正しいメソッド を覚え、その後のセルフ・プラクティスをどう進めるべきか、先生に相談してください。   ☆☆UPCOMING CLASSESお知らせ☆☆ いよいよ明日!! [...]

journal

2015/10/14

先日、10月10日(土)に@vedatokyo で開催した座学ワークショップ『インドのヨガ、わたしのヨガ』でも触れたうちのテーマですが、わたしの知っているかぎり、インドで古代から伝わっているヨガプラクティスにおいては「鏡を使う」ということは一切しません。 …これって、最近広まっているヨガ・フィットネスのイメージとだいぶ違うと思うので、少し説明させてください。 Photo Courtesy of A.Kumagai for Hawaiing.com よくvedaでの基礎クラスや初心者向けのクラスでもお話させていただいていることですが、まず、インドで古代から継承されてきているヨガというものと、最近フィットネスブームの一貫として広まっている、欧米でアレンジされてきたヨガとでは、大きく分けて目的が違うと言えるのです: インドのヨガ⇒ あくまで「統一」のための行であり、カラダを用いるポーズの練習も、カラダの次元のみに留まらず、カラダを扱い、呼吸を整えることにより心身の気の巡りを清め、強化し、ひいては「統一」をもたらす。YOGAという言葉は、もともとサンスクリット語で「統一」や「統合」を意味する言葉であり、その状態とは完全なるOnenessを指しています。心・カラダ・精神。内なるものも、外を取り巻くものも、究極的にOnenessにおいては境目がないのです。 欧米でアレンジされてきたヨガ⇒ インドのヨガから、精神業に励む”修行僧”ではない人たちにもフィットネスや健康法として取り入れていただけるように、手軽にアレンジされているものがほとんどです。インドのヨガでは、例えそれが「健康になること」といった高尚な目的であったとしても、カラダのみを最終目的にしていない(カラダの健康を用いり、トータルの統一を計らう)のに比べ、欧米のヨガは「フィットネス」「痩せること」や「リハビリ」など、ヨガのメソッドを健康法として活用することで、有効に様々な目的を実現させていっています。また、その効果・効能については、科学的に実証されていることから、最近ではインドへも逆輸入される「一般向けのヨガ」となったと言えます。   …で、本題に戻りますと、本来、心・カラダ・精神の統一を計らうメソッドとしてのヨガにおいては、鏡を使うことがないのです。 この理由は、鏡を使うと、人は意識を外に向けてしまうからだと言えます。 鏡を置くことで、人は目を外に向けて使い、自分の姿勢を確認します(多くの場合、ついでに他の人の姿勢やウェアまで気になってしまいますね…笑)。 しかし、人は目線を向ける時に、目線と一緒に意識もそこに送るわけで、このサイエンスをよく理解していた古代ヨギーたちは、ヨガのポーズの練習に取り組む際に、すべての体勢において目線をどこに置くかを的確に決めていたのです。これは、トラタカのような集中を高める瞑想法の時にも活用しますし、アーサナ(ポーズ)の練習の際にも活用する、「ドリシュティ」と呼ばれる作法です。アシュタンガヨガのポーズの練習方法では、伝統的に9つのドリシュティのポイントが定められています。(※詳しくはわたしのNHKの著書を参考にしてね。)この9つのポイントの内、6つは自分のカラダの一部に視点を定めるポイントであるため、意識の使い方も非常に内的になるよう、内観意識を高めていくようにデザインされているのです。つまり、やはり伝統的なヨガとは、どんなにダイナミックにカラダを動かしても、心の作用のためのプラクティスなのです。 逆に練習の際に鏡が欠かせないエクササイズを考えてみると、わたしはまっさきにダンスを思い浮かべるのですが、ダンスは最終目的が人に見せるためのパフォーマンスですから、それは外から見られる自分のフォームを確認して当然だと思うのです。また、どんなに痛くても、どんなに辛くても、ショーの中では我慢してでも人を楽しませるエンターテイメント性があるのが、ダンスであるとも思います。 ヨガは、人に見せるためのものとして発達してきていません。 ないし、ヨガでは、普段いつも外に向けてしまう意識を、あえて自分の元へと戻して行く作業があり、これがヨガにおける癒し(ヒーリング)の第一歩でもあるのです。 では、意識を外に向けずに、効果的に自分自身の元へ向けておくヨガの練習をすると、どういった効果が期待できるのでしょうか? 実は、ドリシュティ(視線)を外に向けないことによって「エネルギー漏れ」を防いでいるのです。 みなさん、室内でヨガに取り組んでいる時に、物音がしたり、ドアが開いたり閉まったり… 他の人がやっていることが気になってそちらへ目線を送った時に、同時に意識もそちらへ”逃げている”のがわかりますか? この意識は、置き換えるとプラーナ(生命エネルギー)の一部だと言えるものなのです。 だから、ヨガではこの生命エネルギーの温存をとても重要に考えるのです。 温存することで、自分自身の中における生命エネルギーの循環を高め、また温め、それにより自分の気の巡りがどんどん整い、非常に効果的に自己治癒が進む、というプラクティスがヨガなのです。 …あなたのジムやご近所のヨガ・ティーチャーは…、こんなこと知っていますかね? フィットネスとしてのヨガも、伝統的なヨガも、わたしは今の現代社会にはどちらも意義があるものだと思っていますが、本当に効果的なものに取り組もうと思うのならば、ここ数十年で発達したメソッドと、何千年も継承されてきているメソッドと、その効果は比べものにならないですよ。 Try it to find out. Test it to see for yourself. See how it feels, and what kind of Magic it creates in your [...]


philosophy

2015/10/03

また…青い目の僧侶、ことネルケ無方先生に、わたしの知らない日本語を教えていただきました。(笑) さすが仏教の世界で日本語を学び、覚えてきており、数々の著書を持つネルケ先生であるからこそ、インター育ちのわたしにとっては最早めずらしいことでもなんでもないのですが。今回はvedaの母(!)スタジオ・マネージャーを務めるOちゃんもネルケ先生に「これ、なんて読むんですか?」と聞いていたから、ちょっとほっとしたわたしでした。(笑) そったくどうじ。 と読むそうです。 「啄」の意は、まだ卵の殻の中にいるヒナ鳥が、内側から殻をつつくことを表しているそうで、自然界では何事もウルトラ素晴らしいタイミングで起こるということで、どうやら実際のところ母鳥も、このタイミングで外側から殻をつつき、砕くことを手伝うそうです。「啐啄」とは、何かをするのに絶妙なタイミングを指す表現だそうです。 これはきっと… 兵庫県の山奥にある安泰寺という、ほぼ自給自足しているお寺の住職を務めるネルケ先生のvedaでの禅ワークショップの際に、以前わたしが「師匠と弟子の関係について教えてください」という質問を投げかけたことから始まっている流れでもあり…。禅において悟りを開こうとしている弟子に、師匠がうまく教示を与えて悟りの境地に導くことを指す表現であるそうです。 今回、金曜日のわたしのヨガ基礎クラスにご参加いただいたネルケ先生ですが、その際に、こんな棒をいただいたのです: これは、坐禅で坐る練習をする時に(希望する方に)使われることがある警策(きょうさく)という棒だそうですが..。 この秋からFreshにveda講師として加わっていただいたネルケ無方先生。「vedaでのワークショップの際に使わせていただくので、よかったら置いてください。もちろんmae先生もヨガの時に使っていいです」と。(笑) ということで、早速この棒でアジャストしちゃうぞおぉ〜と冗談をいいながら進めた基礎クラスとなりました☆ けど何より、この「啐啄同時」という言葉はわたしのハートにもズバッと入るものがあるのです。 個人的な捉え方かもしれないけど、ヨガの世界でだって、アーサナ練習や呼吸、そして瞑想練習。カラダだけに留まらない、カラダと心と精神をも統一していくプラクティスを継続していく者にとって、「自分」独りの力では届かない境界線を感じることは確かだからです。 それは、ヨガや禅だけでなく、人生そのものに言えることでしょう。 人は、独りで生まれてこないし、 人生は、独りで生き、悩み、また解けるものでもないと、そう感じるのです。 Just as much as we inhale- we must exhale. 頑張る、という働きには「自分の努力」が欠かせないものです。これは、呼吸で言うと息を吸うことにあたり、陰陽でいうと「陽」の働きで、中心へと向かっていく、集中の動きです。 同時に、「吸う」や「頑張る」の対極が「吐くこと」であり「手放すこと」。それが「陰」の時間です。 すなわち、吐くこととは「頑張って」は、できないのです。 その意味そのものが、Let It GO. なのです。 We 頑張る、 and then we Let It GO. ひいては、頑張ったままだと、手に入らないお恵みがある、ということを指しているのだと思います。 「Ask, and it shall be given to you.」 キリスト教の聖書にだって、そんな言葉があります。 尋ねて、求めて、初めて入ってくる”答え”がある。 また、受け取る準備をすることは、尋ね求めた後に、「受け取り体勢」に入ることでもあり、それは「答え」の形やタイミングを、自分の勝手な思いによって閉じ限らないことも意味しているのだと、わたしは自分のプラクティスにおいてつくづく感じるようになりました。 コンセプトスタジオvedaでは、オープン当初から「カラダだけに留まらない」ヨガであったり、カラダ/心/精神の調和を計らう大きな健康のプラクティスを提供することを目的としております。 この度、こんなにたくさんの人気著書を持っているネルケ無方先生のような本物のTeacherをvedaにウェルカムできることは、わたしにとっても大きな誇りであり、ぜひみなさまにオススメしたいのです! ネルケ無方先生の、officially [...]