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philosophy2016/04/12

Amor Fati~ 運命を愛すること。

AMOR FATI~
とはラテン語で「Fate(運命)を愛する」という意味。
それは、人が人生において起こるすべてのこと。苦しみや辛いことも含めそのすべてを、良いこととして観る(受け入れる)ことを指しています。


AMOR FATI〜
少なくとも、すべてが必然であったことを心底認められていること。
それが、自分が好き好むことであってもなくても、自分の人生を形成させているという事実。
そうして、人生において起こるすべてのできごとを認める、という姿勢を表しているのです。

AMOR FATI〜
もしも… 再び人生を繰り返すのなら、

あなたは、今の人生を、事細かくすべてのディテールを、あるがままに繰り返してもいい、何度でも繰り返してもいいと思えるほど、あなたのFate(運命)を愛していますか?

 



このAmor Fati~ という発想は、哲学者のニーチェが言っていたことだそうです。
「偉大な人間とは、Amor Fati: 今在るすべてを、何一つ変えず、変えたいとも思わない。過ぎたことも、先のことも、永遠に何をも変えようとしない。それを愛するということ。

「心配は、人生を無駄にする。
いつか、どこかで、人は自分自身を自由にする勇気を身につけなければならない」と語っていたそうです。

 

みなさんはこれを読んで、何を感じて、何を思わされますか?
なんだかこの言葉…
いろいろあって、大人になって… まぁまぁ上手く生き延びてそれなりに人生エンジョイできているけれど、「自分の運命すべてを愛するまでいっていない」という類の人間にズドーーンと重たくくるものがあるのではないかと思います。

なぜなら、わたしがちょっとそうだったから。(笑)

自分に起こったことすべてって、非常にパーソナルな、主観的な人生の見方ですよね。
また、それを愛するって、とってもパーソナルに、心の奥からくる近しいFeelingです。

あるがままのLifeを愛し、心の平安を知っている者を、
古代ヴェーダではStitha-Pragya(スティタ・プラッギャ)と呼ぶんです。
その意味は、”One of steady wisdom.” すなわち「安定した知恵の(ある)者」。

ヨガの聖典、古典バガヴァッド・ギーターにも出てくる言葉なのですが、その意味は、いわゆる「欲望を卒業した者」なんです。
欲が続くかぎりは、いつまで経っても「今在る自分」が足りなくて、何かを変えたくて、ずっと何かを追いかけ続ける、ざわざわと落ち着きのない心の持ち主になるわけです。それが過去からの影響であったりすると、今や未来を生きることでその”不幸”をなんとかして取り返そうとするような、何とも言えない、言葉にもならない、自分の中でもがくような心境が続くことでしょう。

逆に、「今在る、あるがままでOK!」と思えるのであれば、人は心の平安を覚え始めることでしょう。
Amor Fati~
それが指していることは、自分の人生というものを、パーソナルな視点から、起こったことすべてを振り返ってみてみても…、うん!こうあってくれたおかげで今の姿がある、というappreciation(感謝・認知)を指しています。

 

わたし自身、完全にできているとは今はまだ思えないかもしれないけど…
i am actually pretty happy.
and pretty content, with ALL the craziness that make up my Life ; )

今はそうでなかったとしても、
いつかは「え〜い、わたしの人生大好き!もう1回生まれ変わったら、絶対またわたしに生まれたい!」と感じる自分を想像することから始めるだけであっても、

Amor Fati~
人生を愛せたほうが、楽しい毎日を過ごせるのだから。
結果、自分が本当はなりたいと思っている心の在り方へ近づけるのです!!

 

ちょっとパラドックスですが、

ひらきなおってでも、大きく「今在るもの」を愛するほうが、

本当はあなたに似合っているのです。

本当は、あなたの本筋であり、心地のいい在り方なのです。

 

 

※Amor Fati~ この記事はわたしのスタジオから発信しているメンバーシップ・コミュニティMVMのお便りにて、昨年秋にシェアした内容です。
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